| アーティスト特集 第1弾 ブラック・サバス
第一回
ブラックサバス結成初期〜サバスの前身たるアース時代について
オジー・オズボーン(Vo.)
トニー・アイオミ(G.)
ギーザー・バトラー(B.)
ビル・ウォード(Dr.)
ブラックサバスの結成初期の時期について解説する。正確に言うとブラックサバスのネーミングを冠する以前の活動についてである。
彼等は、イギリスはバーミンガムのアストン出身である。オジーとギーザーはレア・ブリードというバンドにおり、アイオミとビルはミソロジーというバンドにいた。レア・ブリードを解散した際にオジーが楽器店に告知を出して、シンガーを求めていたアイオミとビルと知り合う事になる。アイオミはオジーとは違うギャング・グループに所属しており告知のオジーの名前を見た時に同一人物かと訝った。ビルと広告の住所を尋ねると、案の定オジーその人であり、アイオミは取り止めようとしたがビルの意見でオジーとバンドを組む運びとなった。
オジーに関しては、子供の頃より失読症というコンプレックスを抱えており、鬱屈した幼年期を送っていた。バーミンガムの工業地帯の煙で空も見えない環境もそれに拍車をかけたに違いない。ありとあらゆる悪さをしたが、家に帰ると恐怖や不安で震えているという生活を繰り返した。元々配管工になるつもりで労働者階級は一生を暗い生活を送るものと考えていたが、リバプール出身の同じく労働者階級出身のビートルズの4人組の活躍に一条の光を感じるのである。曲も申し分がなく、夢中になった。成功を修めた後に彼等も地獄を見てきたに違いないと思ったという。
彼等はビートルズなどのヒッピー、フラワームーブメントの中で、ディスコミュージックやポルカなどを経験する。(アイオミはベンチャーズなども―あまり好きではないが―よく聴いていた。)そしてポルカ・タルク・ブルース・バンドとかアース・ブルース・カンパニーなどという名前のバンドができたが、「アース」と統一される。1968年の頃である。その当初の編成は6人で、後に内部分裂により除名されたが、彼等の他にサックス・プレイヤー、スライド・ギター・プレイヤーがいた。音楽性はジャズ/ブルースを中心としたサウンド。ブルース・クラブは少なかったために、遠くヨーロッパを中心にクラブ・サーキットを繰り返す。ロンドンでプレイする事は滅多になかった。そして彼等の音楽性に転機をもたらす事となるある事件が起こる。アイオミがジェスロ・タルというバンドに 2週間加入するというものだ。タルでは行き場のなかったアイオミは再びアースへと戻るが、ここでの経験が全力でリハーサルをし、自分達の曲を書かないといけないと思い立たせることとなった。トニーの呼び掛けで毎朝 9時にメンバーが集まり、リハを繰り返す生活となる。また観客が演奏中に話をしていたのが気に食わず、それがフルヴォリュームでの演奏のきっかけとなる。そうした練磨の後にファーストアルバムのトリに収められている「悪魔の世界(Wicked World)」が完成する。ファーストシングル「evil woman」のレコードのB面にも収められた。この段階ではまだアースというバンド名である。(因みに後にearth wind and fireがevil womanをリメイクした。Evil womanの作曲者はwiegandそしてwaggonerなる人物)
音楽性の変転と共に、「アース」から「ブラックサバス」と改名するに至る機縁が与えられる。彼等の他にアースと名乗る別のバンドが存在したのである。オジー達をそのもう一つの別のバンドと思って雇ったクラブがあった。その場所に薄汚い格好で行ってみると他のバンドの連中は皆蝶ネクタイを着けている。場所を間違った!と思ったが、まさにそのクラブであった。演奏を始めたが酷い目に遭わされる破目となる。何故ならそこはダンス・パーティ会場だったのだ。結局別のバンドと間違われブッキングされた事が分かり、絶対間違われない名前としてブラックサバスの名が誕生した。この名前のアイデアはオカルト愛好家であるギーザーによるところが大きい。ヒッピー、フラワーに影響された彼等だが、拡大していたそうした風潮は自分達の進みたい路線とは異なる!という事実を前面に押し出す主張であったわけだ。一説によるとこのネーミングは1930年代のボリス・カーロフの同名の映画から来ているという。
そしてブラックサバスとして1970年 2月13日金曜日にリリースされるデヴューアルバム『黒い安息日(Black
Sabbath)』に結実される事になるのである。
2004年11月 akira
→ Next 「第二回 ブラックサバス メジャーデヴュー初期」 へ
|