アーティスト特集 第2弾 ドリーム・シアター

第一回

ドリーム・シアター
結成期(マジェスティ活動期)



1986年、ドリームシアターのメンバーは、楽団を結成する。まず、高校時代からの友人であったジョン・ミュング(Bass)とジョン・ペトルーチ(Guiter)の二人が、大学での余暇にバンドを結成しようと思い立っての事だ。ボストンはバークリー音楽大学での出来事である。

二人は、あるリハーサル・ルームで、マイク・ポートノイ(Drums)という男に邂逅する。二日ほどの歩み寄りの後に、ポートノイのバンド参加を呼びかけた。ポートノイはそれに応じ、このトリオは空いているポジションにメンバーを探し求める。

ペトルーチが、高校時代の同級生であるケヴィン・ムーア(Key Board)に呼びかけ、クリス・コリンズ(Vocal)が雇われ、バンドは完成した。

当初のバンドはマジェスティと名乗り、活動をしていた。この名前は、RUSH"Bastille Day"に由来するとのポートノイは語る。

この時期、ポートノイ、ペトルーチ、ミュングの三人は、アルバイトや指導をしながら、大学での学問(音楽)に勤しんでいた。やがてスケジュールが過密状態となり、彼等は音楽のキャリアを重ねるか、バンド活動をやめるかの選択を迫られた。判断を迫られて、彼等は自分たちの音楽を追求するためにバークリーを去った。ムーアも同様に大学(SUNY フレドニア)を去った。

プロ中のプロにしばしば共通して見られる発言に、「大学は意味がなかった…」というものがある。彼等もそんな事を漏らしている。

1986年の11月に、数ヶ月の創作活動と演奏の後、クリス・コリンズ(Vo.)はバンドを去る。理由は、音楽性の違いである。

数年間、代わりのヴォーカリストを求めた後に、チャーリー・ドミニシが新ヴォーカルとして迎えられた。彼は、年齢も随分上であり、他のバンドのメンバーの誰よりも経験豊富な人物であった。

ヴォーカルが安定して、彼らはニューヨーク近辺での演奏をたびたび行うようになる。アルバムを未だにリリースしていなかったにも関わらず、露出の頻度は非常に多くなった。

彼等をより成功に導かせるようになった契機の一つが、デモのコレクションの発売である。『ザ・マジェスティ・デモ(The Majesty Demo)』と命名されたこのデモ・テープは、1987年に発売された。初版1000本のこのカセットは、わずか6ヶ月間で売り切れとなった。売られたカセットはダビングされ、瞬く間に、全世界のプログレ・メタル・シーンへと広がっていく。

余りにも熱狂的なファンの献身により、このテープのオリジナルフォーマットは未だに入手可能である。マイク・ポートノイのレーベルYtseJam Recordsにて、CD盤が入手できるにも関わらず…である。

このデモの発売の暫く後に、ラスベガスで活動をする同名のジャズグループが訴訟を起こすと持ちかけてきた。そこでバンドは、新しいバンド名を採用する事を強いられた。あらゆる可能性が模索されたが、ポートノイの父親が『DREAM THEATER』というアイデアを出した事により、それが採択された。この名前は、カルフォルニアのモントレイにあった同名の映画館に由来する。

ボーカルの固定化と新しいバンド名で一新した彼等は、活動を盛んに行っていく。ニューヨークはおろか、近辺の州での演奏も増えていく。やがて、MCAの一部門であるメカニック・レコードの目を引く。ドリームシアターは、このレコード会社と契約を交わし、メジャー・デビュー・アルバム『ウェン ドリーム アンド デイ ユーナイト(WHEN DREAM AND DAY UNITE)』も上梓する。


◎プログレ界への影響について◎
ドリームシアターの存在は、Queensr Fates Warningのように、プログレッシヴ・ロックの復権としての草分け的存在となっていた。このジャンルはドリームシアターの登場する前は、10年以上も虫の息であった。イエスやジェネシスのような重みは、よりまっさらなポピュラー・ロックへと移行されていた。ネオ・プログレとして、マリリオンやIQといったバンドも活躍していたが、ポピュラー・サウンドよりであり、70年代のプログレとは比較にはならない。90年代初頭に、ドリームシアターを筆頭とするバンドがラジオでのチャートを上ったために、再びプログレが、一つのジャンルとして認識されるに至ったのである。

7080年代のプログレ・バンドはドリームシアターに、作曲の構築面で多大な影響を与えている。一方、メタリカやアイアン・メイデンなどからは、アグレッシヴな音造りや喚くようなヴォーカルスタイルの基礎として、影響を受けた。上記2種類のタイプの音楽が融合したスタイルは過去に未だ見られないものであった。それがドリームシアターがプログレッシヴ・ロック再興の旗手とされた要因である。また、商業的な成功も旗手と見なされた一因となっている。


                              2005年   akira 

→ Next 「第二回 ドリームシアター WHEN DREAM AND DAY UNITE 期」


著者へのご意見・ご感想・質問等はまで

過去の特集記事一覧ページへ戻る
HOME