アーティスト特集 第1弾 ブラック・サバス

第十一回

ブラックサバス 『DEHUMANIZER』期



『ディヒューマナイザー(DEHUMANIZER)』は1992年に発表された。

メンバーの状況

この作品は、メンバーを大幅に変え、『悪魔の掟(MOB RULES)』の時のラインアップで制作された。即ち、ロニー・ジェイムズ・ディオ(Vo.)、ギーザー・バトラー(B)、トニー・アイオミ(G)、そしてヴィニー・アピス(Ds.)である。

このラインナップが再結成されるに辺り、前作のメンバー達の状況を述べる。

トニー・マーティン

彼とブラックサバスは揉める事なく自然な感じで別れたという。だが、この『ディヒューマナイザー(DEHUMANIZER)』の次回作では、再びVo.の位置につく。何とも人を舐めた扱われ方である。だが、ロニーとトニー・マーティンとでは格の違いがあり、BLACK SABBATHという歴史の重みにおいて、格上のロニーが優先されたことはさもありなむ…なのかも知れない。

コージー・パウエル

渡り鳥の彼は、アイオミとは随分馬が合った。次回作もこの面子で次回作も事が運ぶと思われたが、ロニーが入ってきたために調子が狂った。レインボー時代から、ロニーとコージーは折り合いが悪かった。コージーは気が合わない人間とは仕事はしたくない性質(タチ)であったため、バンド全体がギクシャクし始めた。その矢先にコージーの落馬事故が起こり、それを機に彼の脱退が決まり、ヴィニー・アピスが加入する運びとなった。

今回品のメンバー状況

ギーザー・バトラー

オジーと組んでBLACK SABBATHを演じてみたところ、嘗ての感触を得るに至り、再びSABBATHに回帰する必要性を感じたという。

ヴィニー・アピス

彼は、『悪魔の掟(MOB RULES)』当時は正式メンバーではなかった故に、フォト・ショットには入れて貰えなかった。当時は、どこの馬の骨とも知れぬ若造であったため、止む無き扱われ方であったろう。だが、その後10年間DIOなどでキャリアを積んだ事により今回の正式メンバーへの昇格が認められた。(彼はWORLD WARVというヘヴィーでミステリアスなバンドにも参加していた)

彼曰く、仕事始めは、百戦錬磨のアイオミ達との作業に非常な緊張を覚えたそうだ。初めて生粋英国人のミュージシャンとの仕事をしたこともその一因であった。だが、ロニーは同じイタリア系米国人であり、それを糸口に、次第に軽口を言うほどに全体的に打ち解けた関係を確立し得た。

ロニー・ジェイムズ・ディオ

10年前成功を収めた後、色々な人間が指図をするようになった。成功をした人間は、何故かそれに耳を傾けがちなもので、ロニーもその陥穽に陥った。(ロニーはそれをエゴだと指摘している。)その結果、メンバー全体の関係がおかしくなったと彼は述べる。

アイオミとの不仲説があり、それを原因に10年前の解散へ導かれたともいう。だが、この再結成に当たっても、音楽への理解に関しては、元々アイオミと食い違いはなかったため、おかしな関係になることはなかったという話である。

トニー・アイオミの思惑

トニーは、この前作のメンバーの関係は、非常に良いものであったために崩したくはなかったとも言われる。その話の信憑性は、その後トニー・マーティンを呼び戻し、後のアルバム『フォービドゥン(FORBIDDEN)』では全く同じメンバー編成をなした事実に表出している。(ただしアイオミがギーザーとソウル・メイトである事実には変化はない)

これはBLACK SABBATHがトニー・アイオミ一人のバンドではなく、権利や様々な人間が錯綜しており、既にワンマンで自由に動かせる性質のものではないためであろう。

この状況は、例えるなら日本の『ルパンV世』が分かり易いかと思う。原作者はモンキー・パンチ氏ではあるが、映像化され、様々な資本に動かされるようになった結果、モンキー・パンチ氏が全ての権利を行使するわけにはいかなくなった。元々己が創始したものであっても、人が多く絡むと複雑な利権関係が生まれ、自らの所有から離れる事もあるのである。

現メンバーが再結成されるにあたり、一番難しいところをトニー・アイオミが語った。それはメンバーそれぞれが異なる背景・価値観を持つことだという。

袂を分かって10年も経てば、メンバーそれぞれが独自の人生を歩む。ギーザーは、オジーのバンドへ、ロニーはDIO、アイオミはサバス…。メンバー個々人が違う人生を歩めば、それぞれ異なる人生・価値観を形成するだろう。(価値観とは例えば、感受性、思想、行動、好み…etc.の事である)そのため再結成し、同じプロジェクトを遂行させるには理解し合う必要があった。

初めのうちは大変だったが、理解し合うようになった後は関係は滑らかなものになった…、とアイオミ氏は語る。

楽曲制作話

レコーディングのためのリハーサルは、バーミンガムの片田舎の大きな屋敷を借りて行われた。何もない田舎で、ヴィニーがジョギングに出掛けたり、ロニーが買出しに行くと、町の人々に不思議な目で見られ、やがて町にヘヴィー・メタル・バンドが来ているらしい…と噂がたち始めた。何もない町にはちょっとした刺激で、良い雰囲気を感じたそうである。微笑ましい逸話だ。

歌詞の制作

歌詞の内容について触れると、ロニーは彼特有の言葉、即ちドラゴンやドリーム、魔法、ダンジョン…といった言葉を極力避けるように工夫した。(つまりファンタジーの世界観の排除である)それは自らのプロジェクトでさんざん使いまわした言葉であり、BLACK SABBATHに持ち込むべきではないと判断したためである。それは同時にギーザーとアイオミからの指摘でもあった。丁度、ギーザーのSF的な歌詞の構想があったため、それを駆使して良い結果を残した。

ギーザーの言葉を借りれば、ロニーの歌詞は時に音楽を先導する…ものである。それはロニー自身に確固たる内的世界が形成されており、それに裏付けられた詩が、我々の心に独自の世界観を形成せしめる事を意味する。音楽優先のBLACK SABBATHであったが、ロニーの詩は作品を別次元に昇華させた。

歌詞の内容は、アルバム全体に共通点があるため、一種のコンセプト・アルバム的な面もある。コンピューターの発達により、人が機械に使われる世界への警鐘や現実世界でTVを通じてのサギを犯罪だと警告したような歌詞である。サギの内容とは例えばこうだ。苦しんでいる人々は、祈りを捧げることによって救われる。そしてその祈りには一回に5ドルを支払わなくてはならない…。昨今はこうした商売は日本でも盛んに見られるようになった。ロニーの警告に耳を傾けて、皆さんもサギにはくれぐれも気をつけて欲しい。

曲の制作

曲に関して言えば、共同作業で行われた。アイオミとギーザーがリフのアイデアを出すとそれにロニーが歌詞をつけたり、皆がアイデアを出し合っていった。勿論それは時間のかかる作業であった。

音楽性について

この作品は、長年に渡るサバスの歴史においても、1、2を競う程のヘヴィネス度を誇る出来映えである。名盤『ヘヴン&ヘル』の方向性とは異なるあり方が展開されている。

『ヘヴン&ヘル』のメロディ&スピードの世界を期待する人には向かない作品だろう。

アルバムの持つ世界観として、マシン・テクノロジーによる社会の深刻な状況が歌詞と共に、楽曲にうまく表現されている。つまり、暗くて悲壮な気分にさせられるのである。著者の主観的な印象で例えるなら、SFのターミネーターなどの世界観と類似している。

楽曲紹介

『電脳の神(computer god)』。アルバムのオープニングを飾るに相応しいミディアム・ヘヴィー・ナンバーである。重い緊張感のあるリフ、ドラミングに、歌のメロディが良い。シリアスな雰囲気を醸し出している。生身が機械に取って変わられ、機械に至上の価値が置かれるようになる状況への警告…という歌詞の内容である。それが、曲とうまくマッチしている。

『シンズ・オブ・ザ・ファーザー(sins of father)』。オープニングから初めの一分ほどが70年代サバスを彷彿させる。ロニーの歌声もオジーと似ていると思うのは著者だけだろうか?一分を経過した辺りから重苦しいリフが展開される。

アルバム全体が、元気がない人にはなかなか聴けないような重苦しい曲が多い。荒涼としていて、ソリッドな雰囲気を好む人にお勧めしたい。深刻なSF的を好む傾向のある人も“聴き”であろう。

アイオミとギーザーの音楽への取り組み方

アイオミに関しては音楽はラップ以外はいかなるものも好んで聴くという。音楽として感動が味わえるものが好きなのだそうだ。

ギーザーは、今でも練習をよくする。誰も聴いたことがないような音楽をモチーフとして自分の血肉に化するための研究に余念がないと語る。“他人のコピーをしない”が彼にとっての唯一のモットーだ。最近のベーシストは他人の物真似の次元で終わってしまう人間が多い。だが、それでは聴衆を感動させることはできないと批判している。

この批判は、アイオミ曰くの、音楽は単なる物真似ではなく自分の内側から発せられた、独自性がなくてはならない…という主張と共通している。殊にアーティストの方々に対して、特筆すべき事項である。

                               20054月 akira

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