| アーティスト特集 第1弾 ブラック・サバス 第五回 1976年10月『テクニカル・エクスタシー(technical ecstasy)』を上梓する。演奏技術が高まり、様々な試行錯誤をしてきた彼等だが、この作品においても顕著である。アイオミのサウンド・イニシアティブによる、より現代的なヘヴィ・ロックの追求がオジーとの軋轢を助長する事にもなった。(註…アイオミはサバスをヘヴィ・ロックと認識している) 5thアルバム『血まみれの安息日(sabbath bloody sabbath)』は同年リリースされたレッド・ツェペリンの『聖なる館(house of the holy)』をも上回るセールスを記録し、それまでのアルバムは全てプラチナムを獲得してきた。だが、『サボタージュ(sabotage)』ではゴールドすら取れず、『テクニカル・エクスタシー(technical ecstasy)』に及んでは全米チャート入りすら果たせなかった。 ドラムのビルがドラムを叩きながら歌う『イッツ・オーライ(it's alright)』は聴き物である。オジーの出番がない。ひょっとするとこれも“一因”なのかもしれない。『サボタージュ(sabotage)』のジャケットでは怪しげな赤いタイツで決め決めであったウォード氏であったが、浜田省吾の如きグラサン・バンダナ決め決めファッションも披露している。浜田省吾が先か、ウォード氏が先か?という問いには筆者は答える事はできない。寛恕を。後年にウォード氏は、エリック・クラプトンのいたバンドcreamのベーシストのジャック・ブルースとヴォーカル・アルバムを出している。『サボタージュ(sabotage)』のジャケットの余談としては、ギーザー・バトラー氏の服飾がジャケットといい、白いパンタロンといい、謎の右手の傘といい、ミステリアスである。 オジーの憤懣は、彼がヴォーカリストであり、楽器を持たない事によるコンプレックスが不和を生んだ部分が大きいと筆者は見ている。オジーは、バンド結成初期よりそうした不安を抱えていたと当時のマネージャーは語っている。また、麻薬とアルコールへの依存も軋轢を加速させた。当時のマネージャーは麻薬、酒への依存も上記のコンプレックスによると述べている。 77年に全米ツアーを行った後に、オジーはblack sabbathより脱退する。残ったアイオミ達三人は、元savoy brownのデイヴ・ウォーカーを後任に据えた。だが、それでは穴を埋められずオジーに復帰を呼びかける。元dirty tricksのメンバー達との新バンド構想が崩れつつあったオジーはそれに応じ、78年に『ネヴァー・セイ・ダイ(never say die)』の制作に着手する。そしてそれは同年10月に発表された。 丁度結成10周年で、バンドは記念ツアーを行った。だが、オジーの薬物・アルコール依存の問題が表面化しバンドは危機に直面する。アイオミ達はオジーに療養をアドバイスする。残った三人は79年にオジー抜きで、次のアルバム『ネヴァー・セイ・ダイ(heaven and hell)』に取りかかる。アイオミがロニー・ジェイムズ・ディオと電話で盛りあがったのがきっかけとなった。電話の後すぐにスタジオでフル・ヴォリュームで演奏したのだ。良い感触が得られた。ディオが後任のヴォーカリストとなる。 この時期の面白い逸話には、スウェーデンでのライヴがある。最前列で10歳程の子供が観に来ていた。その少年を近くの男が殴りつけたのである!それを見たオジーは、即ダイヴし、その男を殴打し返した。次の日、叩かれた男はギプスをはめて謝りにきた。腕と足を骨折していた。LSDでラリっていました!スミマセン!サイン下さい!と腕のギプスを差し出した。 オジーは下手な人で、暴力事件で拘束された事があった。ある時、2対1の喧嘩を見た心優しいオジーは1人の側に加勢する。だがやり過ぎてしまった。警察沙汰だ。このオジーの憎めない人柄は現在の人気にもつながっていると思うのは筆者だけだろうか? オジー在籍時代のブラックサバスの音楽は、楽曲はアイオミ主導、歌詞はギーザー主導であった。アイオミとギーザーは友情を越えた真実のソウルメイトという。 アイオミはアデプトの境涯、位置に達した人だが、ヘヴィ・メタル界の風潮をこう語っている。技術的に優れた人間が出てくることは良い。技術的に申し分ない人間は増えている。だが、教則本やビデオで習い覚えただけの技術には力がない、と。内側から出てくるものがなければならない、と。作曲にも同様の事が言えると。主体的なこだわりがあるべきなのだろう。 最後に、ブラックサバスらしいオカルト的な逸話を御紹介する。彼等は、あるウェールズにある城のダンジョンでリハを繰り返していた。オジーがソファで寝ていたところ、人影が見えたのでアイオミと追いかけた。回廊を通り、その影は武器庫へと消えた。不思議な事にその武器庫は鍵がかかっていたのだ。それ以来、彼等は宿泊せずに車でリハに訪れるようになった。ギーザーは、オカルト崇拝のバンドと言われても本当に怖かったと当時を述懐している。 オジー時代のアルバムは今に至るまでに全て合わせて5000万枚を売った。彼等がメタルの開祖である事に異論を挟む人間はいない。 以上、オジー在籍時代のブラックサバスの解説を終える。
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